福山市のフレンチレストランはL´ardoise(ラルドワーズ)

こんばんは。

ラルドワーズの武丸でございます。

 

前回、『車海老のアメリケーヌ・グラタン』の衝撃について書きましたが、

そもそもなぜソースを、後から後から舐めたくなったのか?

 

・・・それは『美味しすぎる』からだったと私は思っているのです。

 

そもそも『アメリケーヌ』とは、フランス料理のソースの一種で、海老のエッセンスを凝縮したものなのですが、

グラタン(チーズを乗せてオーブンで焼く)にすることによって、味に濃厚さが加わり、さらに美味しくなる・・・

私は、これにやられた訳です。

 

このようにフランス料理は、料理を『美味しすぎる』ものに変える技法に長けたものだと言えると思います。

例えば海老であれば、刺身にしたり、加熱して寿司にしたり、あるいは天婦羅にしたり・・・

そのままに近い形で食べるのが美味しいと思うのですが、

フランス人は、それには飽き足らなかった。

海老の殻を炒めて、香味野菜を加え味を補填し、さらに煮詰め、生クリームで伸ばす。

・・・この『煮詰める』という作業に、フランス人の民族性が現れていると思うのです。

ただ海老を食べて美味しいではなく、もっともっと美味しくなるはずだ・・・

そこで彼等は、『火』を使って、海老から水分を抜き、そのエッセンスを抽出しようとした訳です。

そして、焼いた海老の上に、そのエッセンスをかけて食べたら、それは海老だけよりも美味しかった・・・

 

この様に、フランス料理の要諦として、『』と、素材に対する『探究心』が挙げられると私は思います。

素材の水分を抜く・・・という作業に、もともと狩猟民族であった彼等の『猛々しさ』を感ぜずにはいられません。

 

対照的に、日本料理は『』の料理と言えるのではないでしょうか?

日本料理の『だし』は、昆布、かつお節で調味するのですが、

成分的には、おそらく99%以上は『水』。

この『水』の上に、1%の味のエッセンスを乗せて『美味しい』と言わせる技術はすごいと言わざるを得ません。

 

この様に、フランス料理と日本料理、

『火』と『水』との対比に、それぞれの民族の文化観の相違が現れていると私は思うのです・・・

 

続きは又の機会に・・・

それでは皆さん、おやすみなさい・・・

明日が皆さんにとって幸せな一日でありますように・・・

 

P.S

再び、つまみ食いにチャレンジ!・・・しかし・・・